私は鬱持ち摂食障害です。前編
暇でしたので、ふと思い立ちてカミングアウトしてみようかな、(許容範囲まで)、と書いています
特に大きな転機が来たわけでも、寛解したわけでもないけど、書いちゃう!暇だから。
私は摂食障害です。
大まかに説明すると、拒食、過食嘔吐、非嘔吐過食などなど(まだまだ細い分類分けはあるけど)
が、それに該当する。
非常に厄介な精神難病である
ここからは、経緯と完全自分語りがはじまるので、心の準備をば、どうぞ…
事の始まりは、父の唐突の自決だ。
物語はスタートする。
パパは躁鬱アル中片足突っ込み男だった。それでも、尊敬してて大好きで。
そんな大好きなパパを無くしたママは、すぐ鬱になった。
私はママのフォローをしつつ、必死にがむしゃらに勉強ばかりしてた。
高校では、ひたすら明るく振る舞って、とにかく必死に勉強してしてしまくって、自己肯定感を得ていたのだと思う。今思えば、躁状態
[数II Bが大好きだった頃の私]
でもある時、プツンと勉強ができなくなってしまったのだ。焦った私は、ずっと行きたかった美大に進むべく、パパの保険金で、美術の予備校に通う事に。
学校終わって一目散に遠い予備校へ。
絵が認められて、自己肯定感は保ててた。
すごく大変だけど、楽しかった時間だ
ある時、ママがうつの抜け殻から、少しずつ人間になっていった。
その事で私の緊張はほぐれたのか、次は私がジワリジワリと鬱になってゆく
交代制だ。長女、今まで頑張ってたえらい
まず、学校に行けなくなった。
レベルの高い大学を目指すクラスメイトから見たら、さぞ落ちこぼれに見えただろう
私も疎外感を感じ、後半はほぼ行かなかった
それでも、予備校には通ってた。
そこだけが私の、頑張れる所だったから。
わざわざ制服を着て、同級生に駅で会うのを恐れながらも、コソコソと通い、ガリガリと木炭と向かい合い、友達になった。(ここで今までの人生で1番の傑作風景画が産まれる)
これ
しかし、薬も飲まず、私の鬱は次第に悪化していった。
そしてついに、私は大好きな予備校にすら行けなくなってしまったのだ。
恩師には、本当に申し訳なかった
期待してくれていたのに。でも、
「辛いなら、離れるべきだ」
と言ってくださり、高3の秋、私は予備校もやめた
恩師には今でもずっとずっと会いたい
そんなこんなで、鬱の引きこもり生活がスタートした。
布団から出られない、泣いてしまう、何もやる気が起きない、体が動かない、眠れない
周りは受験頑張ってるのに、何もせず布団から出られない私を、自分で責めた
自己肯定感は皆無
「何にもしてない私は、何も生まない私は、生きている意味があるのだろうか。」
生産性のない毎日が、本当に辛かった
でも、外にも出られなかったし絵も描けなかった
そこで閃いた最悪のアンサー「ダイエット」
痩せれば、頑張ってることになる!ダイエットを生きる自己肯定感に繋げよう!と、思ってしまったんだなア。これが後、何年も私を苦しめるとも知らず
鬱で視野の狭い私は、ひたすらストイックな食生活と、一日に2回の塩入長風呂、筋トレをやり続けた。
長風呂で、何度も倒れた。怪我しなかった事が不思議なくらい。
それすらに、喜びを感じてる、痩せてるんだ、という思考。
脳がバグってる
サラダしか食べなかった
(尚、これは全く参考にならない負の例なので、反面教師にして絶対やらないでほしい)
こうして、私の拒食症が始まった。高3の冬だった
食欲はほぼなく、減っていく数字とボディチェックの毎日
この間も創作どころではなかった
拒食症という自覚はなかった。
ついに、私は52キロから40キロになった。
そして生理が止まった。(未だに来ないまぢさぃぁく)
口では「もうこれ以上は痩せませんよ〜」とは言っていたものの、
正直、私は自分の身体をまだまだ好きになれなかった。痩せる事が、全てだったから
でも、拒食症という言葉が、チラつくようにはなった思う。(曖昧
単位が足りない為学校には行かなくてはいけない。体調がよかったら遅刻してボチボチいった
電車の人混みが怖くて、母に送迎してもらいながら。(ママ、本当にありがとう
常に学校は寒く、40キロといえど、椅子が固くてお尻が痛かった思い出しかない
そんなこんなで、ママと先生の慈悲(たぶん単位微妙に足りてなかった)のおかげで、なんとか卒業
卒業式当時、37〜38キロくらい(見た目は細い子くらいの感じ)
式場は寒いし、不登校で気まずいし、早く帰りたかった。写真撮影とかどうでもいい!そーゆーのいらんいらん!!!
[38くらいの私]
卒業してから、大学やらなんやらゆっくり決めようと思っていたけれど…
拒食の私には、そんな、ハッピー浪人なんてあるわけがねぇ。
とにかく、痩せは続きに続いて、周りの人が振り返ってみるくらいは細くなった。35キロ以下だ
それでも、なかなか太る恐怖が付き纏い、夜はもちろん抜くし、朝も昼も低カロリー
しかし、だんだん食に縛られている自分、鬱の自分、拒食症というはっきりした自覚?
何もかも嫌になり、先生の勧めで入院した
2ヶ月ほど
でもこの時はまだ太りたくなくて、おかずは残しご飯も少し食べて、記録は嘘をついて書いた(のちにバレた
結果、1度目の入院はほぼ無駄に終わった
痩せ思考も、食生活も変えられぬままに。
退院しても痩せ続け、知り合いの所でバイトもしていたため、気付けば骸骨のようになっていた
バイトを辞め、ただただ、体がしんどい日々を過ごした。
当時29キロだった。
胃と脳が、食事を受け付けず、すぐに気持ち悪くなる。
階段を上り下りするのも必死で、起き上がる事も上手くできない。
呼吸が苦しく常に鼻や口が乾燥で痛い。
頭部の重みが自力で支えられず、座ってもいられない。
ジャンプも走ることもできず、行動は亀並みに遅い
表情の筋肉さえ落ちて、笑う事ができなくなった
心臓が苦しく、毎日死に怯えて泣いた
そして、2回目の入院を決意
今回は本気だったため、しっかり食べた苦しくても
。食事のストレスで、起きていられないほどの頭痛に毎日悩まされながら
また2ヶ月入院し、おそらく32〜34近くまでは増やした気がする(曖昧)
長くなった。後編はまた後ほどにするか…